日本では、普段は、ほとんど神社仏閣へ行かない人でも、大晦日からお正月にかけては、初詣へ出かける人がとても多いですね。
日頃から神社仏閣に慣れ親しんでいる人であれば、取り立てて困ることはありませんが、一年に一度のこととなると、参拝の作法やマナーなどが分からない人も多いと思います。
また、仮に調べたとしても、一年も経てば忘れてしまいますよね。
ということで、あなたは今、この文章を読んでいるのではないでしょうか。
*この記事は、長いので、短く編集した抜粋板はこちら
→神様に喜ばれる神社への参拝の仕方【抜粋版】
「多くの日本人」と書きましたが、何も知らなかった昔の自分も、同じように一年に一回の「初詣」をしていました。
よく考えたら、2回目以降の参拝がなければ「初詣」という言葉も成り立たないように思うのですが…。
ということで、初詣の参拝作法について、真剣に調べて見ようと思ったあなたは、ぜひこの先を読んでみて下さい。
しかし、始めに断っておきますが、
ここに書いたことが、すべて正しいというつもりはありません。
「こんな意見もあるのかぁ」
くらいのつもりで、読んで頂き、他の意見も知った上で、最終的に
「なるほど。では私は、こう思うからこうしよう!」
と決めていただけたらと思います。
Contents
🔳 参拝作法は誰が決めた?
ところで参拝作法は、いったい誰が決めたのでしょうか?
じつは、神社への参拝作法やマナーには、
「神道」などの宗教関係者(人間)が、近年(明治以降)に決めたものと、神様に喜ばれる作法やマナーがある
らしいのです。(神様がいると思っているから、みんな神社へ初詣へ行くんですよね?)
「らしい」と書いたのは、私自身は、直接、神様の声をきくことができないので、100%そうだとは断定できないからです。
この記事では、参拝の作法やマナーについて、私自身が、これまで気になっていろいろ調べた結果、「どうやら、神様に喜ばれるらしい」参拝方法を中心に書いていきます。
まぁ、宗教関係者が決めた作法やマナーに従っておいた方が、無難といえば無難なので、そちらを信じたい人は、神社本庁のホームページなどをご覧いただければと思います。
しかし、「神様に喜ばれる作法?」と気になった方は、ぜひこの先も読み進めてみてください。
何事においてもそうですが、
だと思います。
🔳 初詣は神社?それともお寺?
まず、気になる疑問として、そもそも、「初詣」は、神社と決まっているのでしょうか?
「初詣」とは、年が明けて最初の「参拝」のことです。
「参拝」とは、「参って拝む」と書きますね。
ですので、「どこに参って、どちらの神仏に拝みたいのか」と言うことで決めればいいと思います。
「神様」にご挨拶に行くのか、「仏様」にご挨拶に行くのか、お好きな方を選んで参拝すればいいのです。
みなそれぞれに、信仰は違うと思いますので、是非、お好きな神仏にご挨拶に行って下さい。
また、日本人なら、年末、大晦日といえば、「ゴ〜ン〜〜〜〜」という、あの、「除夜の鐘」を思い浮かべる人も多いと思います。
私たちの多すぎる煩悩を祓ってくれる、ありがたい鐘の音が聞けたり、実際に突けたりできるのは、もちろんお寺です。
そのまま、お寺で新年を迎えることも多く、そうなると、それは、初詣(二年参り)となりということになります。
しかし、多くの日本人は、大晦日に除夜の鐘をお寺で聞いて(突いて)、そのままお寺で新年を迎えても、お正月中に、また別の神社へお参りに行って、おみくじを引いたり、お守りや、破魔矢、熊手などの縁起物を買ったりして帰ります。
そして、それ(神社での参拝)のことを「初詣に行った」と言っていることが、多いのではないでしょうか?
「その場合、あなたの初詣は、神社ではなく、お寺ですね!」
なんてことが言いたいわけではありません。
基本的に神仏は、ケチ臭いことは言わないようです。
「おい、こっちが先だろ!」とか、
「よその神仏に参拝するとはけしからん!」とか、
「自分だけを信じて参拝せよ!」
などという人間的な発想はないのです。
そんなツマラナイことで争い、殺し合いまでしているのは、人間が神の名を借りて勝手にやっているに過ぎないのです。
ですので、「初詣は1社だけ」なんて決まりもありません。
参拝に行く順番も、それほど気にする必要はありません。
ただ、信仰の厚い人は、日頃からお世話になっている神仏に、真っ先にご挨拶に伺います。
日頃から大切にしている神様や仏様がいないのであれば、お好きな神社仏閣を回ってもいいと思います。
ただ、一つだけ問題があって、仮に10の神社仏閣で願掛け(お願い)をして、その願いが叶ったとします。
その場合は、どこの神仏が願いを叶えてくれたのか分からないので、願掛けをしたすべての神仏に「お礼参り」に行かれた方がいいということになります。
ということで、
だと私は理解しています。
※この記事では、神社での参拝作法を中心に書いています。
🔳 初詣は、いつからいつまで?
大晦日から元旦の深夜0時をまたいで、神社仏閣に参拝する「二年参り」をする人は多いと思います。
NHKの紅白歌合戦が終わると同時に始まる、恒例番組「ゆく年くる年」をみていると、どれだけ多くの人が、この「二年参り」に出かけているのかがわかります。
ちなみに、この「ゆく年くる年」では、これまで、浅草寺(東京)、比叡山延暦寺(滋賀)、知恩院(京都)、出雲大社(島根)、厳島神社(広島)などが最も多く、中継で紹介されてきました。
どちらかと言うと仏閣の方が多いですね。
やはり、あの「ゴ〜ン〜〜〜」を聞かないと、年は越せないといったところでしょうか。
では、初詣はいつからか、ということですが、
古来の作法に則るなら、大晦日の夜は、神棚にお供えをし、家で歳神様を待ちます。
元旦の0時になったら、仏壇や神棚にろうそくを灯したり、お線香を焚いて、新年のご挨拶をします。
そして、お下がりの鏡餅をお雑煮にして食べたりしてから、初詣へ向かうのが良いみたいです。
通常、多くの神社仏閣へは、夜に参拝しないのが基本ですが、新年を迎える大晦日から元旦にかけての夜だけは特別です。
そして、早めに参拝(ご挨拶)することは、神仏にとっては、丁寧で、喜ばしいことであるようです。
ですので、可能であれば、初詣は、早めの参拝が望ましいということになります。
では、初詣は、いつまでに行くべきなのかということですが、
年が明けて初めての参拝が初詣なので、初めて行った時が初詣となるわけですが、一般的には、お正月の三が日中、1月3日くらいまでに初詣に行く人が多いのではないかと思います。
実際には、新年の「おめでたい氣」がもらえるのは、「松の内」の間ということです。
「松の内」というのは、門松や注連縄などのお正月飾りを飾る期間のことで、一般的には、1月7日まで(古い風習では1月15日まで)とされています。
ということで、
と、私は理解しています。
🔳 参道の歩き方は?
参道は、真ん中を歩かないようにし、順路が決められていなければ、なるべく左側の隅を歩くようにします。
神社によっては、門がいくつかありますが、基本的には「表参道」から入り、門の敷居は踏まずに、またいで入ります。
鳥居をくぐったら、そこから先は神域なので、本殿へ着く前から自己紹介(住所・氏名を名乗るのは大切です。)などを始めてもOKです。
誰かと一緒の場合、鳥居までは、おしゃべりしながらでもいいのですが、鳥居をくぐったら、ひとり静かに自己紹介などをしながら、別々に参道を歩くのがおすすめです。
特に、初詣ともなると参拝する人が多く、あまり長い時間、本殿の前で手を合わせていると、背中の視線が痛いです。
ですので、本殿に着く前に、自己紹介を終えておくとスムーズに参拝が出来ると思います。
🔳 手水舎って?
神社の境内には、手水舎(てみずや)という、手を清める場所があります。
その作法は、手水舎に書かれていることが多いと思うので、それに従えばOKです。
簡単に言うと、まず、左手を清め、続いて右手を清め、最後に口を清める、といった感じです。
だだし、手水舎の水が凍っていたり、淀んで汚いなどの場合は、省略しても差しつかえないようです。
したがって、
神社によっては、川の水で清めるところや、手水舎の水(お湯)が温泉という、冬場に行くと本当ににありがたい、そんな神社もあります。
🔳 お賽銭の金額は?
参拝作法で、けっこう気になるのが、お賽銭の金額です。
「ご縁」がありますようにということで5円がいい、
とか、
10円は「遠縁」を連想させるのでよくない、などと様々なことが言われています。
その他にも、最低でも300円がいいとか、500円がいいとか、調べるといろいろな意見が出てきます。
一年に一回だけの参拝であれば、500円でも1,000円でも、それほど惜しくはありませんが、頻繁に参拝する人や、いろいろな神社へ参拝する人、境内のお稲荷や摂社、末社にまできちんと手を合わせる人にとっては、意外とまとまった金額の出費になります。
御朱印を集めている方にとっては、さらに多くのお金を用意する必要があります。
(初詣等で混雑する期間中は、御朱印は直接、書いて貰えない神社の方が多いと思いますので、御朱印集めをされている方は、注意が必要です。ただし、御朱印帳に貼り付ける印刷タイプの御朱印なら購入出来ると思います。また、お正月の時期だけ、お正月バージョンの印刷タイプの御朱印が売られている神社もあります。)
では、お賽銭の金額は、いったい、いくらがいいのでしょうか?
その前に、知っておいて頂きたいのは、お賽銭に、見返りを求めるものではないということです。
お賽銭を多く入れたら、より大きな望みが叶う、というものではないのです。
逆に少ないから、参拝しても意味がない、ということもありません。
お賽銭の金額は、その時の自分の気持と相談して決めるといいです。
金額の大小よりも、自分が「勿体無い」と感じるかどうか、そこを判断基準にしてもいいと思います。
自分が「勿体無い」と感じる金額のお賽銭には、「勿体無い波動」が乗ってしまうので、あまり、おすすめではありません。
昔は、お金がなくて5円しか入れられなかった人が、100円が入れられるようになったとすれば、それだけその人の経済状況が好転しているという可能性があります。
私は、お賽銭に使える金額は、その時の、その人の金銭的な器を表すような気がします。
たくさんお賽銭(お布施)が出来る人は、たくさんすることで、よりお金の器が大きくなり、収入も増えていくのではないか、などと思っています。
お賽銭は、神社仏閣の修繕費などにも当てられることでしょう。
お賽銭は、税金に似ているところがあります。
たくさん利益を上げた企業が、たくさんの法人税を支払って、そのお金で道路や橋などの公共インフラが整備されていきます。
たくさんのお金を支払える人は、そうやって世の中に貢献が出来るのです。
ちなみに、お賽銭に1,000円や10,000円などのお札を使う場合は、むき出しではなく、白い封筒(賽銭袋)に入れて、封筒には住所と名前を書くのがよいとされています。
ということで、
と私は理解しています。
お賽銭についての捕捉ですが、私が、実際の神社やテレビなどで参拝シーンをみていて気になるのは、お賽銭の金額ではなく、お賽銭の賽銭箱への入れ方です。
多くの人は、お賽銭を勢い良く投げ入れます。
何となくですが、「ほれ!」みたいな感じで、下から放り投げている人が多いように思います。
「ん?何か問題でも?」と思いましたか。
実は、お賽銭を投げ入れるのは、神様にとって、とても失礼な行為なのです。
もしも仮に、あなたが現金による給料の支払いを「ほれ!」と投げ渡されたらどう思うでしょうか?
銀行振込の場合でも、給料明細を投げて渡されたらどう思うでしょうか?
逆に、両手で「ご苦労様!」としっかり手渡されるのと、どちらが気持ちがいいでしょうか?
というか、そもそも、目上の人に何かを渡すとき、それを投げて渡すということ自体が、失礼な行為ではないでしょうか?(目下ならいいと言うわけでもありませんが。)
と言うことで、初詣などで人が多い場合でも、
これ、お賽銭の金額以上に大事なポイントです。
🔳 鈴は鳴らした方がいい?
神社には、お賽銭箱の上に、鈴が設置されていることが多いですね。
鈴は鳴らしたほうがいいのか、または、どれくらい力を入れて鳴らしたらいいのか迷ったことはありませんか?
鈴に関しては、
また、人が多いときなどは、あえて鳴らさなくてもいいみたいです。
🔳 参拝する場所は?
参拝する場所は、必ずしも本殿の真ん中である必要ななく、長く手を合わせたい場合などは、あえて、端の方に立って参拝すれば、他の人に迷惑をかけずにすみ、背中に(まだかよ!いつまで拝んでるんだよ!と言う)痛い視線を感じながら、参拝する必要もなくなります。
🔳 祝詞って?
祝詞(のりと)を知ってますか?
ネットで調べてみると、
「神を祭り神に祈るとき、(神主が神前で)申し述べる古体の文章」
と書かれています。
ご祈祷などを受ける時に、神主さんが口にする
「〜〜〜〜〜〜、かしこみ〜かしこみ〜もう〜す〜」
みたいな感じのあれです。
私たちが参拝するときも、この祝詞(お寺であれば、般若心経などのお経)を唱えてご挨拶すると、少し丁寧な参拝となり、神仏に喜ばれるようです。
この祝詞は、「音」が大事なので、心の中で唱えても意味がありません。
子声でもいいので口を動かして、声に出すことが大事です。
祝詞は、ネットで調べると色々と出てくると思いますが、私たち一般人は、神職さんとは違うので、無理して難しい祝詞を、全部覚えられなくても大丈夫です。
簡単な短縮バージョンの祝詞でも、神様に喜んでもらえます。
祝詞は、「古体の文章」なので、現代風に置き換えると、いろいろな読み方ができ、私もどれが本当なのだろうか?といろいろ調べましたが、
だということが分かり、気持ちが楽になりました。
私がよく唱える、祝詞の短縮バージョンは、
清め給え
守り給え
幸え給え
です。
問題の読み方ですが、地方や神社によって若干違いますので、はじめは大いに迷いましたが、
大切なのは「それっぽく聞こえること」なので、最近では、
きよめたまえ
まもりたまえ
さきわえたまえ
でいいか、と思って口にしています。
他にも、
清め給え(きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)
などと書かれている神社もあります。
何と唱えればいいのか、わからなくなってしまったら、
清め給え(きよめたまえ)
もしくは、
清め給え(きよめたまえ)
の2つを、3回ほど繰り返す、超短縮バージョンでも大丈夫みたいです。
神様は大らかなので、
「あっ、この人は祝詞を唱えようとしてくれているのか、よしよし。」
と分かって貰えればいいのだと私は理解しています。
もちろん祝詞が書かれたものなどを持参して、読みながらでも構わないので、きちんとした祝詞を奏上されることは、さらに丁寧な参拝ということになりますので、それはそれで良いことだと思います。
🔳 二礼、二拍手、一礼?
神社の参拝の作法として、お賽銭の金額とともに気になるのが、いざ本殿の前に立った時の参拝のやり方ではないでしょうか。
心の中でもいいので、神様に自己紹介をすることは、参拝をする上で、とても大切です。
仮に、あなたが、どなたか(人間)のお宅に、ご挨拶に伺って、チャイムを鳴らしたとします。
家の中から、「はい」という返事があった時、あなたは、まず何と言いますか?
おそらく、ご自分の名前を名乗ると思います。
初めてのご挨拶のであれば、「どこの誰」だか名乗ると思います。
同じように、自宅の神棚でなく、神社に参拝して神様に、ご挨拶するのであれば、自己紹介(住所・氏名など)は、しっかりとした方がいいです。
ただし、「参道の歩き方」でも書いたように、鳥居をくぐれば、そこからは神域ですので、本殿の前まで行かなくても、自己紹介を始めても大丈夫です。
さて、自己紹介をしながら、本殿の前にたどり着きました。
お賽銭をそっと滑らせるようにお賽銭箱に入れたら、鈴は、鳴らすなら控えめに鳴らします。
問題はその後です。
明治時代に、国家として一限管理をするために定められた、現在も神社本庁が薦める一般的な参拝方法は、「二礼、二拍手、一礼」です。
「二礼、二拍手、一礼」とは、
二回礼をして、二回拍手をして、手を合わせたまま、目を閉じて軽く頭を下げ、神様にご挨拶(感謝やお願いごと)をします。
ご挨拶が終わったら、深めに一礼をして参拝を終えます。
これが一般的な「二礼、二拍手、一礼」の参拝作法です。
明治以降は、どうだったかと言うと、両段再拝という「二礼、祈念、二礼」で、柏手は適宜だったようです。
今でも、四拍手や八拍手が正式と言われている神社もありますが、この柏手の回数、実は、さほど重要ではないということです。
🔳 二拍手、祈念、二拍手、一礼?
これをやると「ん?」と訝しくみられる場合もありますが、「二拍手、祈念、二拍手、一礼」という参拝方法があります。
二拍手が、あちらの世界での拝礼にあたるいう考えもあり、初めの二礼は省略しても構わない。(二礼は、すればより丁寧なので、無理に省略する必要もありませんし、したほうが、周りからの視線も気になりません。)
そのかわり、祈念の前だけでなく、終わりにも2回、柏手を打つ(二拍手)という参拝の作法です。
今でも、伊勢神宮内宮の、神職による参拝方法は、「二礼、蹲踞、二拍手、祈念、二拍手、立ち上がって一礼」が、正式な参拝作法だそうです。
祈念(ご挨拶・お礼・願い事)の前後にする「二拍手」(パン!、パン!)には、以下のような意味があると言われます。
最初の「二拍手」は、本殿の奥にいる神様に、「神様、これからお願いをしますよ!」という、「アテンション プリーズ!」的な「パン!、パン!」。
そして、
終わりの「二拍手」は、「終わりました、ありがとうございました!どうぞ奥にお戻り下さい。」という、「ザッツ オール サンキュー!」的な「パン!、パン!」。
これらの2拍手には、拝礼(お辞儀)の意味も含まれています。
しかし、最後の二拍手のあとは、改めて感謝の気持ちで一礼して、本殿での参拝を終えると、より丁寧ですし、日本人には、しっくりくるように思います。
これが、「二拍手、祈念、二拍手、一礼」の参拝作法です。
祝詞と同様に、調べれば調べるほど「どれが正しいの?」ということになるのですが、すでに書いたたように、一般的な決まりごとは、国家や宗教関係者(つまりは人間)が勝手に決めたものです。
ですので、何を信じるのかも、最終的には、あなた(人間)が勝手に決めたらいいと思います。
ちなみに、私は、
と思っています。
国家が民衆を統制するために「二礼、二拍手、一礼」と決めたというのが、なんとなく腑に落ちません。
個人的には、せめて神話の世界で、神様(アマテラスオオミカミ)の子孫とされている天皇家が「二礼、二拍手、一礼」が正式な参拝作法ですよ、と言っているのなら、まだ説得力があると思います。
しかし、実際には、天皇家と縁の深い伊勢神宮・内宮での、正式な参拝作法が「二礼、二拍手、一礼」ではなくて、「二礼、二拍手、祈念、二拍手、一礼」であることを考えると、やはり神様的には、「二拍手、祈念、二拍手、一礼」がいいのかな?と私は思っています。
また、
人間界では、声が大きい人は注目され、声が小さい人は、存在感も小さい傾向にあります。
神様にお話を聞いてもらうためには、大きく「パン!パン!」と柏手を鳴らして、「神様!聞いて下さい!よろしくお願いします!!」とお伝えするとよいかと思います。
そして、大きな音で柏手を鳴らすコツは、
左右の掌を揃えてしまうと、可愛い音(ショボい音)しか鳴りません。
どのくらいズラすといいのかは、実際にいろいろと試してみて、ベストなバランスを見つけてみて下さい。
🔳 おみくじは神社に置いてくる?
神社に参拝に行った時の、密かな楽しみとして「おみくじ」があります。
「大吉」や「中吉」がでると嬉しいものです。
逆に「凶」がでると、ちょっとがっかりします。
しかし、中身をよく読んでみると、「吉」とか「凶」に関係なく、気をつけたほうが良いことなど、アドバイス的なことが書かれていることが分かると思います。
「大吉」の場合でも、「すべてOK!何事も万事うまく行く!何も気をつけることなし!」などとは書かれてはいないハズです。
「吉」系でも、何らかの気をつけることが書かれているはずです。
例えば、「物事がうまくが、だからといって調子に乗っていると、思わぬ落とし穴が待ち構えているので注意せよ!」とか。
逆に「凶」系でも、例えば、「今はうまくいかないことが多くても、辛抱して努力を続けたら道は拓けるであろう!今は我慢の時!」などと書かれていることも、あるかと思います。
「おみくじ」は、ただ単に、「吉」がでたら喜んで、「凶」がでたら落ち込むためのものではないのです。
運勢は、常に変わるものです。
また、よく神社の境内に、おみくじが木の枝などに、くくりつけられているのを目にすると思いますが、「おみくじ」ってそうするものなの?って気になったことはありませんか?
もしも、「凶」などの、あまり良くない「おみくじ」が出た場合は、アドバイスをしっかり胸に留めた上で、良くない運勢を「おみくじ」とともに神様に引き取ってもらうために、境内の木の枝や指定された場所に、くくりつけてくるといいみたいです。
逆に「大吉」などの良いおみくじは、持ち帰って保管(手帳に貼ったり)して、落ち込んだりした時などに読み返すと、元気をもらえます。
そのようにして保管したものを、あとで読み返してみると、面白いと思います。
これには、脳機能的な「思考は現実化する」的な意味合いもあるのかな?と個人的には思っています。
せっかくの大吉ですから、「今年は、運勢大吉だから大丈夫!絶対にうまくいく!」と自己催眠をかけてしまえばいいと思います。
根拠なんて必要ありません。
成功に必要なのは、「根拠のない自信」だったりします。
ちなみに、
パワーストーンが好きな人は、「右手と左手のどちらにパワーストーン身につけるのか」ということを考えると理解出来しやすかと思いますが、人間の体の左は右脳、右は左脳に繋がってます。
目に見えない何らかのエネルギーを受け取るというのは、 イメージや感覚によるところが大きいので、右脳的だといえます。
したがって、人は、左手でエネルギーを受けて、右手で出すと言われています。
そのような理由から、 パワーストーンからエネルギーをもらうのは左手、ということになります。
同様に「おみくじ」も、左手の感覚に意識を集中して、「これだ!」と思うものを引くといいようです。
おみくじの方から、「これを引いて!」と教えてくれるかもしれません。
繰り返しになりますが、おみくじの「吉」や「凶」は、その時のあなたへのメッセージや運勢を教えてくれているので、何が出ようと「しくじった!引くおみくじのを間違えた!」などと思う必要はなく、その時のあなたに必要なメッセージやアドバイスを、素直に受け取るようにしたいものです。
🔳 初詣の参拝作法のまとめ
まだまだ、書ききれなかった細かな作法やマナーはたくさんありますが、とりあえず神社へ初詣(通常の参拝でも一緒)に行くときに疑問に思う、参拝作法について、私なりに書いてみました。
神社への参拝作法に限らず、この世に存在しているルールは、誰かの都合で作られたものの可能性が高いです。
よほど思考を働かせて調べてみないと、気づけない事のほうが多いのが、今の世の中です。
また、実際には、何が正しくて、何が間違えているということもない、と私は考えています。
すべては、その人にとっての「白」や「黒」が存在するだけです。
もちろん「グレー」もたくさんあります。
しかし、皆がそれそれに、「白だ!」「いや黒だ!」と主張すると、そこに「争い」が生まれます。
人のことはどうでもいいから、みんな自分の思う「白」や「黒」で、楽しくて生きればいいのになぁ、と私などは思ってしまいますが、自分だけそう思っても、周りは、「それは黒でしょ!」などと勝手に忠告してきます。
良かれと思って言ってくれる場合も多いので、無下にはできないところが辛いですが…
ということで、
そして、もしも、この記事の中に、少しでも参考になることがあったなら幸いです。
🔳 初日の出
多くの人は、新しい年こそは「いい年にしたい!」「運が拓けて欲しい!」という気持ちで初詣に行くと思います。
しかし、初詣以外にも、「運を拓く」方法があります。
それは、初詣とともに、元旦のメジャー行事である
「初日の出を拝む」
ことです。
古くは古代より「太陽信仰」はありました。
この太陽系において、太陽のエネルギーは絶大です。
そして、1月1日の「初日の出」には、その年の運をよくする力があると言われています。
これを拝まない手はありません。
といっても、そのように言ったり、感じたりしている人がいるということで、科学的に立証された、何かがあるわけではありません。
しかし、「初日の出を拝めたから今年はいいことがあるぞ!」と思い込むだけでも、脳科学的にいいことが起きる確率は、高くなると思います。
占いと同様、自分にとって「良いことは信じて、悪いことは信じない」という生き方、私は好きです。
ちなみに、初日の出の力を信じるあなたには、ぜひとも、「初日の出の瞬間の太陽」にも、神社の神様と同様に、例の「2拍手、祈念、2拍手」で、お願いごとをしてみることをおすすめします。
願いが叶わなくても、何も失うものはありませんので、叶えばラッキーだと思って、是非やってみて下さい。
🔳 おわりに
最後に、私のおすすめの、初詣&初日の出の参拝方法について書いてみます。
私は、人混みが苦手なので、年が明けてすぐは、神社には行きません。
私のおすすめは、少し仮眠をとって、夜明け前に初詣に出かけることです。
この時期の日の出の自刻は、関東地方だと、だいたい7時ちょっと前ですが、晴れていれば6時すぎには、けっこう明るいです。
この時間に初詣にいくと、よほど有名な神社でもない限り、空いてます。
お正月中なので、まったく人がいないわけではありませんが、参拝するのに1時間も並ぶなんてことは、まず、ないと思います。
(初詣に有名な大きな神社へ行ったことがないので、もしも間違えていたらごめんなさい!)
朝のすがすがしい時間に、参拝をして、そのまま初日の出を拝んでから、自宅へ帰ります。
初日の出は、神社から見れれば、そのまま神社にいればいいのですが、海に面した神社や、山の上の神社でもない限り、多くの神社は、木などに囲まれていて、初日の出がよく見えないと思いますので、神社から、別の「初日の出スポット」へ移動して、初日の出を拝みます。
これが、私のおすすめの、初詣&初日の出の参拝方法です。
以上、長くなりましたが、最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。
*この記事を、短く編集した抜粋板はこちら
→神様に喜ばれる神社への参拝の仕方【抜粋版】